お侍様 小劇場

   “西方より 秋来たる” (お侍 番外編 30)
 


        1



 空の高さや降り落ちる陽射しの色づきよう。朝晩の思わぬ冷え込みに、夕暮れの空の淡藍色の寂寥感などなどと。秋の深まりを自分の目や耳、肌寒さなどで実感し始めるこの頃合いともなると、町のあちこちで見かけるようになるのが、近年にはお馴染みなオレンジ色のカボチャのディスプレイ。十月末日を当てられる“ハロウィン”は、西欧文化圏における“お盆”のようなものなのだそうで。日本でも随分と普及し、ここ何年かは遊園地や洋菓子店のCMなどでも大々的に取り上げられている“歳時記イベント”にまでのし上がって来たけれど。何せ商戦がらみなそれだので“気の早いことだなぁ”と感じるほどの早いうちから扱われており。まだまだクリスマスほどメジャーじゃあない分、却って“いつの催し?”という混乱を招いてもいるようで。

 「やっぱり、本当に木の葉が色づき始めてからじゃあないと、
  実感が沸かないってもんですよねぇ。」

 秋の金風に遊ばれた細い質の髪を、典雅な形
(なり)の手のひらを伏せるようにして、そおと撫でつける所作がまた嫋(たお)やかな。今時にはそちらの方こそが若い人の頭のスタンダードになりつつある“茶髪(ちゃぱつ)”なんかじゃあないらしき、しっとり瑞々しい金髪に、繊細でバタ臭くはないからハーフかクォーターかという趣きの色白の細おもて。青玻璃の瞳もすべらかな頬もどこかノーブルな雰囲気の、こういう西欧の祭事にいかにも縁の近そうな風貌をしたお人が口にした、何とはなしだろう呟きへ。独り言じゃあなく、相手がいてこその応じが、

 「…。(頷)」

 一応は返って来て。相変わらずの仕草だけであり、お声でのお返事はなかったものの。それをして不遜な人よと思うより、

 「小さい子みたいで可愛いねぇ。」
 「本当に。相変わらず、久蔵さんはシチさんには甘ったれだねぇ。」

 相手のお顔をじっと見やっての、こくこくと頷く所作がむしろ愛らしいかもと。話しかけた当のお連れさんは元より、周囲に居合わせた買い物客の奥様方からさえも、ほのぼのと見守られていたりする彼もまた。ふわふかな綿毛のような金の髪を、冠のようにその頭へといただいている欧風仕様の風貌をしており。こちらさんは赤みがかった瞳を据えた、切れ長の目許が印象的な、やはり玲瓏端麗な顔立ちの色白美人。折れそうなほど華奢という訳ではないけれど、若木のようにしなやかで伸びやかな肢体は、背条のピンと張った切れのいい動作も若々しく。そんなせいでか、後ろ姿でさえ人々からの注意を招くほどに際立っての秀逸で。そういった趣きがたいそう似通っていての、並んでいるのが実にしっくり来る二人連れ。七郎次さんと久蔵さん、島田さんチのご兄弟といや、綺麗どころの双美人として この界隈ではもはや知らぬお人はないくらい。そうまで人目を引く風貌なのに加えて、兄上である七郎次がまた、人当たりも穏やかで愛想のいいことでも知られているので。弟君の久蔵が多少朴訥が過ぎようと、お兄さんから甘やかされての人見知りが激しいのだろうという解釈で済まされているくらい。
「えっと…。」
 Tシャツの上へ薄手のカーディガンを重ねた七郎次の、襟のない恰好なせいでさらされているうなじに下がった金絲の束が、時折風にあおられては遊び毛を泳がせる。買い忘れはなかったかなと、居並ぶ商店を見渡す所作のせいでお顔があっちを向いたため、そのお尻尾が間近になって、

 「………。」

 ついのことだろ、そこをばかり じいと見つめる次男坊の様子が、何とも魅惑的な毛糸玉を前にした仔猫のようだった…とは、乾物屋のおかみさんのお言葉だったが。高校生だというのに そうまで兄にべったりな弟であっても、何とはなく許せてしまう。むしろ ほのぼのとした把握をもたらすから、不思議といや不思議な人たちで。

 「よし。メモして来たお買い物はこれで済んだ、と。」

 特に売り出しの商品が目当てであった訳でなし、久蔵が同行して来たのも、土曜の昼下がりで家に居合わせたのでというただそれだけのこと。今夜の夕飯のための食材と、切れかけていた茶葉や消耗品を買い揃えて、さて。
「久蔵殿は何か要る物ありますか?」
 文房具だとか電池や、あ・そうそう、靴下とかハンカチとかは? ちゃんと足りていますか? 訊きながら、そちらさんはTシャツの上へ木綿のシャツを、オーバーブラウスのように引っかけて来たその襟元、白い手が慣れた手際でちょちょいと直してやっており。淡く金色が馴染んだ陽光が、その手の薬指の銀環をちかりと光らせる。この春から彼が身につけている唯一の装飾品であり、ただのお洒落なんかじゃあないことは久蔵も承知している。幸せと絆の象徴。経済的な意味合いだけじゃあなくの、責任感に支えられた誓いを込めて、こういったものを贈れる余裕があるのが大人だとするならば。成程 自分はまだまだ子供なのだなと、思い知らされてしまうアイテムでもあるけれど。その反面、そういう“大人”な勘兵衛がこの青年をどれほど大切に慈しんでいるのかの現れだということが、我が身の幸せも同然という、じんわりと温かな安堵を招きもする。

 “……そうか。”

 意識していた以上に、彼らの結びつきを認めてもいるし、それを善きことと把握してもいる自分であるらしいと。他でもない自身の想いだのに、今更ながらに感じ入る久蔵であったりし、

 「? どしました?」
 「〜〜〜。(否)」

 なんでもないよと、かぶりを振って。こちらへ延べられていた七郎次の腕の肘あたりを ツンツンと引き、もう帰ろうと促して見せる。もっとずっと小さかったころからの、久蔵からの合図のようなもの。恐らくは勘兵衛も知らないだろうそれであり、

 『よくもまあ、何も言わぬものがそうまで判ることよ』

 感心されているうちの大半が、実は実はこんなからくりになってもいるのだけれどと。言えば単純なその仕儀を、だのに ほくそ笑むばかりで明かさぬ自分は、

 “人が思うほど善い人なんかじゃないのでしょうね。”

 この、何とも麗しく玲瓏清廉な青年の、無言のままに示されている心のうち。今のところは、自分だけが知り得る、判るなんてねと。そんな途轍もない特別と優越の齎す甘さを噛みしめ、ついついくすすと頬笑めば、そのご当人から小首を傾げられてしまっており。

 「???」
 「ああいえ、何でもありませんて。」

 さあさ帰りましょうとはぐらかしての、自分の狡さへ酔っていたおっ母様だったけれど。例えば、これこれこういう所作を読めているだけなんですよと明かされたとて、

  ―― どしました? ああ、ダメですよ。
      えと、そうそう玉子が入ってますからね。
      持ち方にコツがいるので、久蔵殿には持たせられません。
      嘘なもんですか。アタシが久蔵殿へ嘘ついたことがありますか?
      でしょう?

 もしかしてお口が不自由な人なのかしらとの誤解を受けることもザラなほど、こうまで寡黙な次男坊の思うところを、こうまで細かくも…すぐさま読めるようになる人はそうはいなかろに。誰か言ってやって、言ってやってよ、もう。
(苦笑)

 「…っと。」

 ちょっとしたアーケードとなっていた商店街の通りから出てすぐ、さあっと、音もなくの吹き抜けていった秋風に下ろしていた前髪を揺らされて、ついつい立ち止まった七郎次であり。ちょっぴりお顔を背けた先のすぐお隣りでは、久蔵もまた眩しげに目元を瞬かせている。同じ風の悪戯、街路樹の木の間から、目映い木洩れ陽が唐突な間合いで振り落ちて来たのだろう。そろそろちゃんとしたジャケットを羽織らねば、肩や背中がふるふるっと寒かったりするほど秋も深まって来ており。それでも、見上げたポプラはまだ緑の葉の威勢のほうが勝っていて、
“東京では、十一月の半ばくらいにでもならないと、イチョウなんかはまだまだ緑ですけれど。”
 同じように街路樹を見上げて見せた、お連れの聡明な横顔へ重なるのは、もっと山間の静かな風景。

 「木曽の方じゃあ、もうお山も色づき始めてるころですよね。」

 こくりと頷くこちらの青年の育ったところ。七郎次も何かというと足を運んだ静かな山里は、木曽路の街道筋からも外れた、そりゃあ鄙びたところであり。その風景の奥向きに座った峻高な山々の尾根続き、深い緑の森に覆われた山野辺に位置した小さな里は、長閑でもありながら、そんな山々の精気が満ちる、圧倒的なまでの自然の威容がいまだにひしひし伝わって来るような土地でもあって。感情の乏しい面差しが、ともすりゃ都会的で冷淡な風に解釈されることもあるらしい久蔵だけれど、
“ただ奥行きが深すぎる、恥ずかしがりやさんなだけですのにね。”
 あまりに端的なところも確かにあるが、意外なくらいに無垢で純朴な部分の方が断然多く、うっとりと眺めておれば“なぁに?”と他意なく見つめ返して来る表情の、何とも稚くって愛らしく。


  「久蔵が可愛くってしょうがないっていうのは判るけど、
   携帯の着信にくらいは気づいて欲しいよな。」

  ……………はい?


 不意にかかったお声があって。何とも絶妙に胸の内をなぞられた七郎次が、はっとしつつも辺りを見回せば。住宅街のほうへと連なる道なり、まだ何軒かの店が並ぶ通り沿いの歩道に、いつの間にだろ、人影があってこちらを向いている。これでも結構 人の気配には聡い自分が、全く拾えなかった存在であり。テーラーズ仕立てらしきベストとスラックスといういで立ちは、割とかっちりしたスーツ姿に準ずる格好。とはいえ、年頃は七郎次よりも久蔵のほうに近いような若々しさの青年で。そんな久蔵の名前を口にしたということは、間違いなく 彼ら二人をよく知るのだろ、知己の誰かであるはずだけれど。

 「???」

 人のお顔を覚えるのが苦手なようだが さにあらん。関心がない相手をなかなか覚えないだけの話であり、自分の身の回りの人たちへは向かぬ関心が、不思議と七郎次を取り巻く人々へは反応鋭い久蔵が、なのに小首を傾げたまんまになっており。遅ればせながら、この人誰ぁれ?という視線を向けた先、すぐ傍らに立つ七郎次はといえば、

 「…きさらぎ様?」

 呆然としたお顔で、だが、そんな名を呼ばわって見せ、
「様はよして。いつも言ってるじゃないか。」
「ですが、」
「じゃないと、僕も七郎次さんのこと“様づけ”しちゃうぞ? 何たって年上なんだ、そっちの方がよっぽど礼儀にかなってるでしょ?」
 はんなりと目許を細めて微笑むお顔は、女性と見まごうほどにも線が細くて麗しく。久蔵とさして変わらぬ上背や体躯だのに、不思議と華奢で可憐に見えもして。後で聞いたが日舞の名取りだそうなので、所作や振る舞いの端々に流れるような嫋やかさがあっての、そんな優美さが見映えとして滲み出てしまう人なのだろう。自分でも言ったよに、少しほど七郎次よりも年下であるらしいその青年、すぐにも傍らにいる久蔵のほうへと顔を向けて来、

 「久し振りだよねぇ。と言っても覚えてないかな?」

 柔らかな笑顔は、言われて見ればその造作に見覚えがなくもないのだが。黒々と濡れた黒耀石のような瞳や瑞々しいまでの漆黒の髪、表情豊かな口元と、こうまで美麗な君なのに、誰某という名前がなかなか出て来ない久蔵で。やっぱり“???”と眉を顰めてしまっている久蔵なのを見かね、

 「からかってやらないで下さいな。」

 七郎次が苦笑交じりに助け舟を出した。
「きさらぎさ…んは滅多にこっちに来ないじゃありませんか。」
「まあね。久蔵とは一回しか逢ってないし、そん時は、僕も保育園の年少さんくらいだったしね。」
 しゃあしゃあと言ってのけた相手であり。だったら久蔵は赤ん坊だったことになるので、
「……。」
 そんな相手をどうやって覚えていろと言うのだと、いいようにからかわれたらしいのへちょっぴり不服そうなお顔になれば、
「怒らないの。十年近くもこっちの七郎次さんを、ずっとずっと独占してたくせにサ。」
「……☆」
 やっぱりきれいな指先が、するりと髪の下へすべり込み、久蔵の頬を優しく撫でる。何にハッとしたかって、声を掛けられてからのこっち、まださほど歩み寄ってもいないままの間合いがあったはずなのに。気がつけばお顔を覗き込まれていたほども、互いの距離が詰まっていたこと。そして、そんな状況へと遅ればせながら気づいている間に、何とも無造作に頬へと手を差し込まれていた久蔵だったこと。日頃からいかにも神経を尖らせてこそいないけれど、それでも…こうまであっさりと、急所の塊である頭や顔へ、しかもこっちの認識が追いつかぬなめらかさで、呆気なくも触れられていようとは。そういった肌身へと伝わったクチの衝撃が先に立っての目が眩み、

 “………???”

 言われた言葉への反応はずっと出遅れてしまった辺りが、見た目と裏腹、いかに体育会系の君かを偲ばせる。自分にこうまでの後れを取らせた彼が口にした歳月に、

 「…十年?」

 言われてみれば……覚えはあって。その“心当たり”が、おかしなもので躍り上がった胸心地をすとんと落ち着かせる。だって、

 「そ。何かって言うと、いっつも木曽にばっか行くようになっちゃって。」

 お顔こそ久蔵のほうを向いていたけれど、そのお言葉は間違いなく、傍らにいる七郎次へと向けられている当てこすり。
「僕だけじゃあない、出雲や周防、伊予に日向。西の支家分家の子供らは、皆ぃんな寂しがってたってのに。」
「大仰ですって。」
「そんなことない。」
 言い返す語調は久蔵にも判る駄々っ子のそれ。そして、彼の口からつらつらと出て来た地名で、ああとやっとのこと、久蔵にも納得がいった。

 「山科の如月。征樹殿の弟。」
 「そ。やっと思い出してくれたね。」

 こやつぅ〜と頭ごと抱え込み、きゅうと抱き寄せられたのへ。あまりに急すぎ大胆すぎる構われようだと、眸を白黒させておれば、

 「如月〜、やっぱおシチ、どっかへ出掛けとぉみたいや…。」

 頬に携帯をあてがって、傍らのコンビニから出て来た人影があり。こちらの3人へと流れた視線が停まり、そのまま“おおおっ”と目許が見開かれての……互いに指差し合ったお人が約2名。

  「久蔵か? 大っきなったなぁ〜。しゅっとしてまあ。」
  「須磨の良親。」
  「だから…久蔵殿、人を指差しちゃあいけません。」
  「良親様、久蔵とは面識ありましたっけ?」
  「おうさ、こ〜〜んな小さい時にな。」
  「〜〜〜。」
  「…人を指先で摘まめるコガネムシみたいに言いますか?」
  「せやから、まだお母はんのお腹にいやった頃やて。」

   「………。」×3

 久蔵のノーブルな見映えに負けぬほど、ギリシャかローマの神話に出て来る若々しい神様もかくやというほどの。カジュアルな秋色スーツもお似合いな、そりゃあ高貴な風貌をしたお人だってのに。

 “関西の人はこういうボケがデフォなんだろか?”

 即興のコントへ巻き込まれつつ、困ったように口許を引きつらせてしまっていた七郎次だったのは言うまでもなくて。柔軟に機転が利く性分な彼でさえ、あっさり動揺させてのペースを狂わされたほどのお客人、西風に乗っての襲来、と相成ったようでございます。




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 *いきなりの関西弁のオンパレードですいません。
  ちなみに“しゅっとして”という描写は、
  関西の方々共通の、スマートなとかスタイリッシュなとか、
  そういう意味合いのほめ言葉ですんで、
  そういうもんだと思って覚えてて下さると幸いです。
  なんかしゅっとしてはる…と言ってあげたら老若男女に関わらず喜びます。
  相手から言われたら“ああ褒めてくれてるんだ”と受け止めたって下さいませ。
 

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